鷺泉随筆(八) 沖縄の焼物



 吾沖縄では如何なる焼物でも出来ると倣語したい程種々の面白い陶器が出来る。

若し私の言葉を疑うならば、学務課の平野君、指導所の玉生君、月刊琉球の山里君にお聞きして見るがよい。
夫は此三君には前記の言説を証明すべく、従来余り人目に掛けてなかった確的の証拠物品を見せて上げたからである。
夫なら如何なるものがで切るかと云ったら、下手朝鮮物は愚か、茶器の中でも得難しと称されている曜変、
油滴、建盞等の名窯を始め、朝鮮風の三島、伊羅保、刷毛目、虫食い、の如きもの迄も出来る。
夫から瀬戸系の物も飴釉、御深井、黒釉の類は無論、目下大人気のある黄瀬戸までも出来る。
タンパンもそっくりだから嬉しい。今日誰か瀬戸辺りより上手な陶工を、沖縄の壺屋へ連れて来て、
黄瀬戸や鉄絵の唐津でもつくらせたら大変な物が出来るであろう。

 此の外にも青磁や宋胡録、ベンチャロン、安南の様な物も出来る。
殊に此所の青磁には一種うっとりとした物静かな色合いで、夫々景色が出来てくるものがあるから堪らない。

 夫から南蛮物が色々出来るのは、世間周知の事実で、今更絮説に及ばぬが、猶日本の名陶に属する
伊賀、設楽、志野の類も出来る。最もやかましい信楽踞る壺位を作るのにも、そう骨は折れまいと思う。
私は決して法螺を吹いているのではない。過日山田真山氏の南蛮焼の個展を見て、一層此感を深くした。
更に嬉しいことには、陶界の王座をしむる赤絵が、古くからよく伝わっている事だ。
そして其調子は万暦赤絵と呉州の赤絵を折衷した様な落ち着いた赤である。此度柳氏が沖縄の壺屋で、
陶器を作って見たいと云う意中には、此赤絵の魅力が大いに手伝っている事も否めない。
同氏は今度宋窯風の赤絵皿は是非作って見たいと云っていた。

 其他に柿南京。交趾、大樋等の系統も色々あるが、此中によく研究したら柿南京の赤系が将来物を言い相だ。
今一つ逸してはならぬものに、釘彫の藍絵がある。此は少し古い焼物で、李朝陶器の気分があるのが取柄だ。
元来陶器の絵は北画風の絵が多いが、李朝の陶器は、洗練された南画系の絵が多いので、一際目立つのである。
が琉球の藍絵も矢張り此南画風の有るのが面白い。其処で種々の点より見て、今頃の李朝風の陶器でも作るとすれば、
地色、釉彩其他の条件が一番沖縄窯が適当である事は製陶家は直ぐ目に著く事であろう。

 扨又精窯の方面から見た沖縄窯はどうか。此は頗るむずかしい問題だが、
先ず伊万里、九谷の如き高度の火力を要する陶器はやれぬ事はないが、今の設備では頗る困難であろう。
だが有田窯で出来る小さい装飾品の類を参考として特有の唐紙色の地肌に赤青等の色釉をつかったら、
他県の窯には見られぬ佳味のある品物が出来ると信ずる。又唐津、万古焼の一部、唐三彩、絵高麗も出来る。
殊に将来大書すべきは、沖縄の窯には窯変がよく出来る事だ。
此は将来研究の如何に因っては、茶人の憧るる、玳玻盞もできると思う節がある。

 こう書いて見ると沖縄の窯業界は、余りに多岐に渉り過ぎて、取捨に迷う程であるが、
要は其中より最も特色、価値ある焼物を選択して、夫に力をいれる事が必要である。
漫に材料の豊富なるに任せ、作り安い品物計りを出す事に熱中して、肝腎の技術の研究を怠ったならば、
仮令一時はよく売れても忽ち声価を落とすに極まっている。其証拠は曾て絵具を付けて焼いた古典焼が、
一時大いに中央にも流行したが間もなく其ボロが顕れて排斥されたのでもわかるのである。
幸い今回河井、浜田氏等の来沖は、沖縄の陶業界に好箇の教訓を与えると同時に、
迷い出さんとする斯界に指針を示す結果ともなって、沖縄の窯業界に画期的の光明が照らして来る
好機会たるを想うと、同氏等の試作品が完成する日を、一日千秋の思いで待たるる次第である。
そして夫が京阪に於いての大展覧会を開いた時の、沖縄の陶器の評判はどんな響きを内外に与えるであろうか。
此を考えると胸がワクワクして、寝ても起きても落ち着かない私の昨今である。

 沖縄の陶器に関してはまだ書きたい事もあるが、紙数に限りあるを以て、今回は此にて擱筆する。



松山王子尚順遺稿   尚順遺稿刊行会版より